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2019年06月25日
ブログ

行徳の始まりを知る「神明(豊受)太神宮」と行徳の名前の由来

こんにちは。

本日、暑いですね。

熱中症にならないよう、気をつけたいところです。

 

さて、行徳界隈には歴史的な建物・寺院が多々ある中でも、

本日伺ったこちらは、「 行徳 」の歴史を語るうえで絶対外せない、ってところです。

その名も「神明(豊受)神社 」さん。

 

カッコが気になるところですが、それはまたのちほど。

「太神宮」とは、天照大神または伊勢内外宮の神をまつった神社の呼び名だそうで、

まあ、みなさんここを「 神社 」と呼ばれているので、長いモノにはまかれた方が安心、

との判断で、以下このブログでも「 神社 」と記させていただきます。

「神明(豊受)神社」への道

以前伺った、「自性院」さんのお隣で手前にあります。

もうすこし詳しく言うなら、行徳街道をひたすらまっすぐ。

行徳一丁目のバス停を超えて、まだまっすぐ行ったところです。

だいじょうぶでしょうか?

すみません(-_-;)

自転車が映りこんでいますが、気にしないでください。

なにせ、狭いのに『 行徳街道 』なもので、車がビュンビュン飛び交うため、

自転車を置く場所がここしかなかったもので。。

 

「 神明(豊受)神社 」さんの入口はこちらです。↑

でも、自性院さんの敷地から見ると、↓

立派な神社になります。

こちらにあるのが、行徳の【道路元標 】です。

本日のお目当てです。

「行徳の始まり」の意味

街道から入ると左側に由来書きがあります。↑

要約すると、

「 大正8年(1919)に告示された道路法施行令により、各市町村に道路の起点や終

点、および町村の位置を示す指標として設置された【 道路元標 】がここにある 。

【 道路元標 】とは、道路の等級や幅員を決めるなど、道路整備の基点になるものであ

る。

【 道路元標 】が設置される場所は、市町村役場の近くやメインストリートや交差点付近

など、多くの人の目につきやすい場所に設置され… 」

 

えっ!?ここが?

目につきやすい?うっそ~!!

 

と思ったら続きがあって、

「 この【 道路元標 】が発見された場所も、行徳街道と成田道でもあった寺町通りと交差

する場所で、近くに町役場もあった 」

 

そうなんですね。

昔は栄えていた場所なんですね。

驚いたりして、大変失礼いたしました <m(__)m>

 

今では本殿の脇が公園になっています。↓

『行徳』の名前の由来

こちらの「神明(豊受)神社」さん、

行徳で一番由緒ある神社 だそうです。

祀られているのは、豊受大神(トヨウケガミ)という、日本神話に出てくる神様で、

伊勢神宮の外宮の祭神であり、食物を司る神様だということです。

 

で、ここからは「市川市教育委員会」で書かれているものを参考にして、行徳の名前の由

来を調べてみました。

 

むかしむかし、金海法印という山伏が、伊勢内宮の土砂を中州(江戸川区東篠崎町辺り)

の地に運び、内外両皇大神宮(伊勢大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)合わせて伊勢神

宮)を勧進して神明社(ここ)を建立したのが始まりといわれています。

この金海法印は、土地の開発と、人々の教化に努め、徳が高く行いが正しかったこところ

から、多くの人々に行徳さまと崇め敬われました。

この行徳さまがやがて行徳の地名になったといわれています。

金海法印が行徳を訪れたのは大永7年(1527)のことといわれ、また天文11年(154

2)のこととも、慶長19年(1614)のことともいわれています。 中州に建てられた神明

社が、現在地に遷座したのは寛永12年(1635)のことです。」

 

すると、

神明(豊受)神社を勧進した金海法印のいが、(善き特質)であったので、

それにあやかろうと地名にした。

 

ということでよろしいですね?

 

さて、金海法印が行徳を訪れた年についてですが、諸説あるためスッキリしません。

なので、個人的に決めたいと思います。ここでは長いモノにもまかれません!

まず年代を比べると、

 

大永7年(1527年)は、室町幕府第12代将軍・足利義晴さんが戦いに負けた年。

天文11年(1542年)は、室町幕府第13代将軍・足利義輝さんのことよりも、斉藤道三さ

んが美濃国を乗っ取った年であり、行徳ともなじみの深い、徳川家康さんが岡

崎で生まれた年であります。

慶長19年(1614年)は、江戸幕府が豊臣家を亡き者にしようとした、その名も

大阪冬の陣の年であり、この時には日本全国にどちらかの陣から召集がかかって

いると思われるので、おそらくそんな時に金海法印もお出かけしてられないと思うため、

ここは、

天文11年説を勝手に取りたいと思います!

 

葛飾誌略という本には、

「江戸川区篠崎(中州)にあった時には小さな祠であったが、

寛永12年にはこの地・行徳に大社を建立して神様をお迎えし、その建立のために、

15か所の村が寄進した。」(要約)

と、書かれているようです。

そんな行徳発祥の神社に、一度足を運んでみるのもいいんじゃないでしょうか。

ただし、熱中症には十分お気を付けくださいね。

 

神明(豊受)神社の情報

住  所  千葉県市川市本行徳1-10

この記事を書いた人
五十嵐 裕子 イガラシ ユウコ
五十嵐 裕子
勤務先である行徳の素晴らしいところをもっと知っていただきたくて、あちこちお出かけしながらブログを書いています。不動産売買の仲介を専門とする当社で、「一期一会の出会いを大切に」をモットーに、お役にたてる宅建士でありたいです。
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