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2019年04月02日
ブログ

行徳から世界に灯りを(常夜灯)(新河岸)(徳川家光)

本日、おなじみの行徳駅からスタートする先は、

市川市指定有形文化財第1号 の 『 常夜灯 』です。

「え?え?『 常夜灯 』ってなに?」

の御方、

『 常夜灯 』とは、読んで字のごとく、常に夜に灯っているあかり。です。

本日より、行徳にある有名な『 常夜灯 』に、日本の歴史を交えながらご案内してみたい

と思います。どうぞお付き合いください。(長くなりそう…)

常夜灯への道

この道をまっすぐ行ってください。

ええ。どこまでもです。

みずほ銀行、りそな銀行過ぎて、スクランブル交差点を斜め右に渡り、曲がることなく

そのまままっすぐです。

歩幅によって違いますが、5~10分くらい歩くとこんなところに出ます。

この看板の目の前が『 行徳街道 』ですが、

じつにこじんまりとした街道です。

けれど、ここを通る車は、けっこうスピード出しているように思います(私の体感です)

信号を渡る際にも気を付けましょう。

 

で、ここもまっすぐ行くんです。

 

いきなりですが、砂地に遊具が置いてあるということは、

公園?広場でしょうか?午前中だからか、誰も遊んでいません。

 

そんなことを気にしつつもさらにまっすぐ歩くと、

いきなりこんな感じのところに出ます↓

で、そのまま顔を右に向けると、こんな立札が…

『看板』というより『立札』ですよね。

 

寛永8年(1631年)ころ貨物専用の河岸、行徳河岸(祭礼河岸ともいう?)が、設置さ

れたが、元禄3年(1690年)この付近に移設された。と記されています。

 

「貨物専用」ということですが、

立札には、「銚子などからの魚、スイカ、ウリ、前栽、大根、薪、塩、米その他の産物が

馬で運ばれてきで積み出されました」と、あります。

魚、スイカ、ウリはわかるとして、「前栽」ってなに?

で、すかさず調べました。

前栽 = センザイ

1 草木を植え込んだ庭。寝殿造りでは正殿の前庭。のちには、座敷の前庭。2 庭先に植え

た草木。3 「前栽物」の略。

けっきょく植木、ってことでよろしいでしょうか?

祭礼河岸から新河岸へ

調べてみると、『 常夜灯 』の建つ岸が『 新河岸 』と呼ばれていたとか。

『 常夜灯 』が建つより早い段階で『 新河岸 』があったとか。

 

これはこれは、放っておけないじゃないですかっ!

『 常夜灯 』より先に『 新河岸 』ですねっ!

 

では、『 常夜灯 』との関係も含め、

ここからは『 新河岸 』について調べていきましょう!

新河岸へ

さきほど見た堤防に目を戻し、ここを昇らず右にずっと歩いていきましょう。

あ、ジョギングでも自転車でもいいので、ひたすら道沿いに進んでください。

新河岸に到着

ありました~!

『 新河岸 』跡。

一応立札も読んでおきますか?

お読みになりましたか?

 

そもそも昔から、物資や人を運ぶために水路が利用されていました。

重い荷物を馬に乗っけて、山道坂道を何日もかけて歩いて運ぶより、

全部お船に乗っけてす~いすい、と行った方が、

重くないし、楽だし。という理由ですね。

 

では、新河岸がにぎわったのと常夜灯が建立されたわけとは?

その辺を掘り下げていくためには、この時代のことも確認しておいた方がいいですね。

『第三代』と呼ばれて。

(急ですが)夏の陣、冬の陣が終わり、徳川家康さんによって、戦国時代に終止符がうた

れました。

時間が経つと、「あれ?なんか世の中平和?」となり、

そうなると、心もウキウキ、ウキウキウォッチングです。

庶民も少し遠くへ遊びに行きたくもなったことでしょう。

 

江戸と行徳を行き交う船の運航が始まったのは、寛永9年(1632年)だそうです。

祭礼河岸は寛永8年(1631年)ころ、でしたので、

まぁ、その年代のことなんでしょうね。

 

寛永9年のころの将軍さんといえば、第三代将軍 徳川家光さんです。

そう、お祖父さん(家康さん)大好きっ子の家光さんです。

ここで、ちょっと家光さんのご紹介をば。。

 

家光さんのお父さんである秀忠さんは、律義で真面目一辺倒(私の想像)。

お父さん(家康さん)には一切逆らいません。

お父さん(家康さん)が立派だったからこそ、自分に続く跡継ぎも立派な人間でなくて

は、家来、一族、諸大名に達になめられ、また戦国時代に逆もどりすると、真剣に悩み

ました。(想像)

秀忠さんには、姉さん女房である正室の江(ごう)さんとの間に二男五女がいます。

将軍職を継ぐのは男の子です。

順番でいけば将軍を継ぐのは長男の家光君なのですが、

秀忠さんは、病弱なうえ、お顔も可愛くないできそこない(失礼)にしか見えない家光君

より、自分と性格が似た、真面目でお行儀のいいイケメンの二男・忠長君に継がせたいと

考えました。

そんな時、それを察したあの女(ひと)が動きだします。

そう、家光君の乳母、春日の局です。

春日の局がどのくらい働いたかは存じませんが、

自分でも世継ぎを誰にしようか迷ったことのある家康さん、お家争いが起こらないよう

決定的なくさびを打ちます。

ある時、諸大名も見守る中、家康さんは

「この竹千代(のちの家光君)は、生まれながらの将軍である」と。

この言葉に秀忠さん、従わざるをえません。

こうして無事、家光君は第三代徳川家将軍は決まったわけです。

 

で、家光さんだったから『 新河岸 』が出来たのかと聞かれると、そんなことはわか

りませんが…

 

ここで質問です。

徳川家以外で、歴史上の勝者なお家は?

チッチッチッ…

 

答えは、浅井家、織田家です。

家光君のお母さんの江さんは、浅井長政さんとお市さんの娘。

お市さんは、あの織田信長さんの血のつながった妹。

けっきょく天下はみんなのものってことでしょうかね~

 

『 新河岸 』のことは明日、書きます。<m(__)m>

この記事を書いた人
五十嵐 裕子 イガラシ ユウコ
五十嵐 裕子
勤務先である行徳の素晴らしいところをもっと知っていただきたくて、あちこちお出かけしながらブログを書いています。不動産売買の仲介を専門とする当社で、「一期一会の出会いを大切に」をモットーに、お役にたてる宅建士でありたいです。
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