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2019年04月04日
ブログ

行徳から世界に灯りを2(常夜灯)(塩と行徳の賑わい)(元禄はアゲアゲ時代)

一日空きましたが、本日も『新河岸』前からです。

 

『 常夜灯 』はもうそこまで来ています。

『 常夜灯 』ファンの皆様、もう少々おまちください。

『 新河岸 』と『 常夜灯』の二大共演です(*^。^*)。

 

その昔、「行徳」といえばお塩で、戦国時代には関東最大の塩の産地だったとか。

そういえば今でも妙典あたりに、塩焼、本塩って地名がありますね。

そのなごりなんですね。変わった地名だなと思っておりました(失礼!)。

お国柄の違いが塩分の違い?

そのお塩についてウキペディアには、

「お塩は常温においてきわめて安定した物質であり、腐敗もしない。そのため、賞味期限

を設定することを免除されている。」と書かれています。

そういえばお塩の賞味期限て気にしたことないですね。

しけっちゃって「だめだわ」となるくらいです。

 

「塩分の取りすぎは健康に悪い!」

とは現代人なら誰しも知っていることですが、

汗をかく人が多い戦国時代にはお塩は大事な栄養(?)でした。

なので北条氏のあと、秀吉さんの悪意(だよね?)で関東に領地替えされた

徳川家康さんは江戸幕府を開いたのち、「塩は軍用第一の品、領内一番の宝である」と

行徳村を幕府直属の天領として、塩業を保護、奨励したそうです。

 

塩分といえば、

関東の武士は戦いで汗をかくから塩分が必要なので濃い味付けになった。

京都や大阪の御公家や商人たちは、あまり体を使わないので薄味になった。

東北地方は寒いのでしょっぱめの味を好む。

等々言われております。和食のお料理はそうかもしれませんが、

おうどんのお汁は関西の方がしょっぱく感じます。

ま、関東のおうどんのお汁は色が濃すぎて飲めませんが。

あ、私、関西出身なんです。

本行徳村の頑張り

写真は現代の風景です。

 

無事三代将軍になった家光さんの時代、

寛永九年(1632)には大切な塩を運ぶための水路が整備され、

江戸城内と本行徳村は、直接船で行き来できることになったそうです。

本行徳村は、この航路の独占権を得て、この地に船着き場を設置。

『 新河岸 』と呼ばれたそうです。そのころまだ『常夜灯』はありません。

 

「塩を運ぶのも荷物運ぶのも人間運ぶのも、船の上じゃ同じだぜ!」

 

そう言ったかどうかは知りませんが、

塩だけでなく、人や荷物の運搬も盛んに行われる(運ばれる)ようになり、

房総(千葉の南東部)と常陸(茨城)への街道の起点として、

また、北関東や東北からの水運による物資輸送の中継点として非常ににぎわったとか。

文化・文政の頃には、成田山参詣の経路としても利用されるようになり、

ようやく『常夜灯』の出番となるのですが、今日そこまで書けるか自信がありません。

 

≪日本橋から成田山への経路≫

日本橋→(船)→行徳→(歩く)→船橋→(歩く)→佐倉→(歩く)→成田山

 

帰りはこの逆ですね。

日本橋から成田山までの距離→約60㎞くらいでしょうか?

この区間で唯一楽を出来るのが日本橋~行徳間の船なわけですね。

歩くと何日かかる? 知りません。

 

そういえば常夜灯の写真を良く見ていただくと、

『 日本橋 』と書かれて(彫られて)おります。(アップの写真はまた今度)

これは、行先が書いて(彫られて)いるんだそうで、

本当にここから日本橋まで水路で物資や人を運んでいたんですね。(疑ってるわけではないです)

「行徳に船着き場が出来てよかった。

「本行徳村のみなさん、ありがとう!」

当時利用した人は、十中八九そう思ったと思います。(想像ですが)

元禄花の絵巻と歌舞伎

↑わかりにくいけど鳩がけっこういます。もちろん現在の写真です。

 

『 新河岸 』あたりは元禄3年(1690年)頃に景観整備されたそうです。

第5代将軍、徳川綱吉さんの時代です。

 

そう、あの「生き物は大事にしろ。特に犬をな!」

と言って、人間を一番大事にしなかった将軍ですね。

 

時代は ☆元禄☆ ですから文化・芸事も華やかになってきています。

 

俳諧では松尾芭蕉・小説の井原西鶴・浄瑠璃の近松門左衛門・歌舞伎は東に市川団十郎、

西に坂田藤十郎の活躍した時代です。華々しい時代ですね。

これから団十郎さんを襲名される海老蔵さん、お上手になられましたね(個人の感想)。

歌舞伎座の建て替えで、歌舞伎座の神様にお父さん世代が何人もつれていかれ、

昔通っていた者としては少々さびしいですが、若い世代が活躍していますので、これから

また楽しみです。

ちなみに私は「孝玉コンビ」のファンです。(現片岡仁左衛門さんと坂東玉三郎さん)

 

歌舞伎でもう一つ余談ですが、

近松門左衛門さん作の『 曽根崎心中 』だったかどうか、確信は無いのですが、

ちょっと昔、ある役者さん達の演じる心中物を見たときのこと。

二枚目役の人が

「お前、こんなにやつれてしもて…」

と、手にとった女形の手の、まぁふっくらしてたこと。

(やつれる前の手が見てみたい)心の中でそう思いました。

役者さんの名前はあえて言いませんが。

関西の、あのご夫婦の御子息達ですわよ。(言っちゃった!)

江戸時代の人も私と同じように、心でつっこみながら歌舞伎見たりしてたかな~。

 

常夜灯、まだ続きます。

この記事を書いた人
五十嵐 裕子 イガラシ ユウコ
五十嵐 裕子
勤務先である行徳の素晴らしいところをもっと知っていただきたくて、あちこちお出かけしながらブログを書いています。不動産売買の仲介を専門とする当社で、「一期一会の出会いを大切に」をモットーに、お役にたてる宅建士でありたいです。
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