行徳から世界に灯りを4 常夜灯と伊能忠敬とコーラもびっくり
本日も『 常夜灯 』前からお送りいたします。
この『 常夜灯 』ができた文化文政当時、政治の世界は田沼だ松平だと色めきたち、
世間は町人中心の文化。
元禄時代の、上方(大阪・京都)文化で上方の町人が活気づいた時代から、
江戸の町人・経済が活気づく時代へと移ってきました。
「きたぜ!俺たちの時代だ!!」
そう江戸っ子が喜んだかどうかは知りませんが。。
浮世絵、歌舞伎など、上方色の強かった文化・芸術が江戸の色に染まり始めた時代です。
そんな中、もくもくとひたすら全国を歩く御仁がおりました。
日本全国歩いた人~ は~い!(^_^)/
この道も通っているかもしれません。いや、通ってないかな?
『伊能忠敬』さん。日本全国回って、測量した人ですね。
若いころに回ったのかと思いきや、測量を開始した1800年には御年55歳というから
驚きじゃありませんか!!
あの織田信長さんが好きで舞っていた(能です)、
「じぃんせい ごじゅ~ねん げてんのうちをくらぶぅれば~ ゆめまぼろしの~ご~と~く
~な~り~」(敦盛)
「人生50年で終わっちゃうぜ、50年なんてあっという間。夢か幻か、って感じだ
ぜ。」って意味ですね。(浅っ!)
その「人生50年」のとき、故郷の千葉県香取市からお江戸に移転。天文・暦学を学び始
め、それきっかけで地図作りに目覚め、
5年を過ぎて測量を始めたというのですから、拍手喝采です!!
中高年の鏡です!! (この時代はシニアかな?)
その測量の仕方も最初は、
一歩を70cmで歩く(70cmの歩幅ってことね)。で測ったらしい
です。(ぜ~っつたい誤差、あると思います!)
ただし翌年からは、一間(約180cm)ごとに印をつけた縄で測量したとか。
(まあ、そのほうがいくらか正確かな?)
で、約16年かかって「大日本沿海輿地全図」というのを仕上げたのですが、
一説には、貿易で来ていた外国人が、座礁した船を確認するふりをしながら、海岸線を
測量している姿を見たことで
「アブナイ!奴らは日本の大きさを測りながら、攻めてくるつもりだ!」
と思ったから。とか。
あ、でも、この話は伊能さんでは無かった気がしてきました。
私の記憶がごっちゃになっているようです。気にしないでください。
その伊能忠敬さん、常夜灯が出来上がった1812年は、九州をもくもくと歩いていたよう
です。
ここは海岸線じゃないから、やっぱ行徳には立ち寄らなかったかな?
常夜灯公園
立ち寄るといえば、
『 常夜灯 』からしばらく行くと、『 常夜灯公園 』があります。
遊具とかは無いので、お散歩コースの休憩場所、って感じでしょうか。
その公園のお隣にお店があります。
お散歩で乾いたのどと、空いたおなかにピッタリそうなお店です。
ゆったり座れるベンチがあります。
こちら、≪ 川の駅 あづま屋 ≫さんというお店です。
店内、というより売店、な感じですが、↓
いにしえの「休憩所 」(?)「茶店(茶屋)」?的ですよね。
あの、時代劇で出てくる、軒先に縁台が置いてあって、
歩き疲れた旅人やお武家が汗を拭きながら、
「 おやじ、茶を一杯 」
「へ~い」
「うむ。ここへ置いていくぞ(チャリン←お金。4文くらいらしい)」
「ありがとうございます。お気をつけておいでなさいまし」
そんな感じの現代版、でしょうか。
あづまやさんの前に『 周辺案内図 』もあります。↓
見やすいようにアップもご用意いたしました。↓
さて、あづまやさんを後にするにあたり、
何か買ったほうがいいかな~と、考えはしたのですが、
残念ながら、こちとらおなかものどもたっぷりだったので、
何もいただかずに帰ろうかと考え直したのですが。。
やはり良心が痛みます(小心者)。
勝手に撮影させていただいたんだから、
せめて飲み物くらい買おうとショーケースを覗き込んだところ…
こらコーラもびっくり!!
え~!!
し、しば漬け? 梅ひじき? 金時豆? いなごの佃煮?
あげくに、ほうれんそう? な、なす?
【 コールドドリンク 】じゃないの?
これには私もびっくりでしたが、
入れられたショーケースもびっくりしただろ~な~。。
と思いつつ、手を出す勇気無く帰りました。
というわけで『 常夜灯 』はこれにて 完 です。
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