行徳の代表的なお寺・光林寺と天文時代の出来事
こんにちは。
別に年齢的なものではないですが、
また、神社仏閣に興味があるわけでもないですが、
(でも、日光東照宮は大好き♡)
当社の近くに有名どころがあると聞いては調査しないわけにはいかない!
というわけで、本日は『 光林寺 』さんにお伺いいたしました。
光林寺さんへの道
行徳駅を出て左です。
みずほ銀行の横をまっすぐに。
スクランブル交差点をスクランブルに渡って、そのまま駅を背にまっすぐです。
すると、目の前に小さな交差点が見えてきます。↑
その交差点を渡らず右へ。
住宅街です。ここをまっすぐ行きましょう。
この道の突き当りの左側が、本日目指す『 光林寺 』さんです。
来迎山 摂取院 光林寺
立派なお寺さんです。
山門の横に由来が書かれた立札がありました。
定かではないが、光林寺さんは天文年間(1532年~1554年)に創健されたとか。。
江戸時代、大正時代の大津波の被害ではっきりしたものは残っていないにしても、
ずいぶん古いお寺さんです。
光林寺さんは「行徳浦安三十三所観音霊場第21番札所だそうで、
開基は田所源左エ衛門信義大禅定門
開山は三覚村了上人
縁起は、下総国葛飾郡東葛西上今井にある浄興寺(芝増上寺の末寺)の末寺だそうです。
芝増上寺といえば、徳川秀忠さん(第二代将軍)の墓所があるんですよね。
東京タワーの帰りに、何度か伺ったことがあります。
天文年間といえば、天皇は105代目の後奈良天皇の時代。
朝廷にお金が無く、全国から寄付を募って、即位から10年後にやっと即位式を行った、
天皇と言われています。
この時代、世の中は戦国時代の真っ只中。
一応、幕府(室町幕府)はあったのですが、
「 昨日の友は今日の敵 」が日常茶飯事となっていた時代ですから、
足利将軍といえども、武家を統率する力は無かったと思われます。
なので、朝廷もないがしろにされていたのでしょうね。
天文年間におこった主なこと
なお、この天文年間には、
のちの武田信玄さんが実の父である信虎さんを追放(1541年)、
信虎お父さん、粗暴で傲慢、一時の感情にまかせて重臣を成敗したりしたそうですから、
信玄さんが追放しなければ、いつかは家臣にバッサリやられてたかもしれませんね。
ポルトガル船が種子島に漂着・鉄砲が日本に伝来(1543年)、
鉄砲の伝来は戦国時代を終焉に導きましたね。
金属加工の伝統があった堺は鉄砲生産地として大発展。現在も堺には「堺鉄砲館」が
あるとか。今でも鉄砲で儲けているんですね。さすが商人の町!です。
のちの上杉謙信さんが家督を継ぎ、春日山城に入城(1548年)、
もともと上杉家に仕える守護代・長尾家の四男だった景虎さん(謙信さん)ですが、
上杉家での活躍はいわずもがな、ですね。謙信さんといえば、どうしても美を追求する
人、のイメージですが、大河ドラマで演じたGACKTさんの印象が強いからでしょうか?
織田信長さんの元へ濃姫が嫁いだ(1549年)、
織田信長さんといえば、私は「山岡荘八」さんの本が好きです。
あの本の中での信長さんと濃姫は、喧嘩しながらも仲睦まじい様子ですが、
ある本で、実際は信長さんには他にいい人がいて(吉乃さん)、濃姫のことは美濃衆の
ご機嫌をそこねないように気を使っていただけ、と読んでショック!でした。
フランシスコ・ザビエルさんの乗った船が鹿児島に到着(1549年)、
フランシスコ・ザビエルさんといえば、髪の毛が話題でしたね。
ええ。頭のてっぺんです。おぐしが…と。
でもあれ実は、トンスラという、キリスト教やヒンドゥー教、仏教でみられる剃髪だとか
、でも、ザビエルさんが所属していたイエスズ界ではトンスラという習慣はなかった、
とか。。と、いうことは自然の髪型。。なんですね。
帽子ではないか、との説もありますが、わかりませんね~。
のちの徳川家康さんが今川氏の人質として駿府へ出発(1549年)
将来行徳とは浅からぬご縁が出来る家康さんが幼少のころ、
一度は今川さんの元へ人質に向かう最中、戸田さんの裏切りで織田家に売り飛ばされ、
今川家と織田家の人質交換でようやく駿府に向かったのがこの年です。
まあ、天文時代とは、歴史のそうそうたる顔ぶ
れが一同に会するような時代だったようです。
光林寺さんの境内に入ってみました。
山門を入って右側に碑があるのですが、
まったく判読不明です。
左側にある碑も同じく判読不明ですが、
近くで見ると、うっすら『 明治 』の文字が見えました。
でも、意味はまったく…です。
本堂手前右側にあるお庭が綺麗でした。
≪清められてる!≫ って感じです。
残念ながら、ワタクシ部外者なので、これ以上足を踏み入れるのは自重いたしました。
なにしろ威厳というか、
(行事のある時は派手な感じになるようですが)
立派なお寺、な印象でした。
裏にお墓があるようですが、そちらはごもちろんご遠慮いたしました。
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