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2019年05月31日
ブログ

行徳の歴史を見てきた「笹屋うどん」と「頼朝伝説」

こんにちは。

三菱UFJ銀行さんが、6月10日から原則として紙の通帳の新規発行をやめるとか…

大丈夫かな?不具合あって、残金0 なんてことにならないですかね?

でも、希望者には発行してくれるそうですよ。

 

5月最後の本日は、行徳の名所・旧跡の中でもピカ一の人気「 笹屋うどん 」さんを

ご紹介いたします。

 

「 笹屋うどん 」さんへは、行徳街道を妙典方面へずっと道沿いに行き、

「 浅子神輿店 」さんを通り過ぎた先の反対側にあります。

「笹屋うどん」さんの何がそんなにすごいのか。

市川市のHPから抜粋すると、

江戸時代、笹屋うどんのある本行徳は、水路と陸路の交通の要衝であった。

江戸と下総を結ぶこのルートは、途中きびしい関所もなかったため、

多くの人に利用されていた(主に成田山参詣の人)ことと、

「 笹屋うどん 」さんが、船を利用する人が足を留める場所としては格好の場所にあった

ため、人気になったそうです。

「 東海道膝栗毛 」の作者である十辺舎一九さんの紀行文「 南総紀行旅眼石 」(1802年

刊)には、

「行徳の里に到り笹屋といへるにやすらいはべる。此處は饂飩の名所にて、往来の人足を

留め、饂飩、蕎麦切たうべんことを、せちに乞いあへれど、打つも切るもあるじひとり、

未だそのこしらへ、はてしもあらず見えはべれば、御亭主の手打ちの饂飩待ち兼ねていず

れも首を長くのばせり 」

(行徳に着くと、笹屋という店で休憩した。ここはうどんが有名で、ここを通る人は

思わず足をとめ、うどんや蕎麦切を頼む。でも、亭主が一人で作っているので、注文した

ものがなかなか出てこない。でも食べたいから、みんな首を長くしてして待っている、

って感じ?)

と記されているとか。

笹屋さん、超絶人気店じゃないですか。

源頼朝さんが千葉へ来た理由

「 笹屋うどん 」さんの繁盛が伝えられるのは江戸時代ですが、

実は、それ以前の治承年間(1177-1181)に源頼朝さんが立ち寄り、うどんを食べたとの

言い伝えがあるそうです。

それは、この笹屋さんに、店の由来を記した六曲屏風があり(現在は市立市川歴史博物館

に所蔵)、そこに記載されている文字と絵によって伝わっているそうです。

ここに到るまでのことを歴史をさかのぼってみていくと、

 

由来にある治承年間といえば、平清盛さんの奥さんの弟・時忠さんが

「平家にあらずんば人にあらず」

なんて、おごったことを言っていた全盛期だった平家の勢いが、徐々に危うくなった時代

です。

 

そもそも、源氏と平家の争いの発端は、それより以前の1156年、崇徳上皇と後白河天皇

の皇位継承をめぐる争いに、武力を行使するため、それぞれが源氏と平氏を味方につけた

ことによります。

そのとき敗れた源氏の代表だった源義朝さんが平家に殺され、ついで義朝の子・頼朝さ

んが捕えられて当然のように殺されかけたとき、

平清盛さんの継母・池の禅尼さんの

「まだおこちゃまなんだから、その子は助けておあげ」

という温情で、頼朝さんの命は助けられ、どういうわけか源氏とゆかりのある伊豆の国へ

と流されました。

ま、頼朝さんの命を助けようとしたのは、池の禅尼さんだけではなく、平家の存在をにが

にがしく見ていたエライさんの力があったからだろうとの説もありますけど。

 

さて、時は過ぎ、頼朝さんが伊豆の小豪族であった北条さんの娘・政子さんと結婚。

頼朝さん30歳、政子さん20歳。実に10歳差婚であります。

頼朝さんにひとめぼれした政子さんが、むりやり押しかけ女房したような話も聞きます

が、本当のところはわかりません。文春砲も無い時代ですので。

 

伊豆での頼朝さんですが、まったく出れない『 籠の鳥 』状態ではなく、

けっこう自由にあちこちお出かけもできたようですよ。

 

伊豆の国へ流されてきて20年後、

「 幽閉 」とは言えない気楽な暮らしの頼朝さんの元へ、ある日お手紙が届きます。

例の後白河法皇の第三皇子『 以仁王の令旨 』です。

おそらく(平家が気に入らないんだよ。アイツら偉そうでさ。このままだとこの国乗っ取

られるぜ。おたくもお父さんや親戚もやられちゃって頭にきてるだろ?だからさ、いっそ

源氏ゆかりのヤツらと立ち上がってさ、平家をやっちゃってくれない?)的なことが書か

れていたのでは無いかと想像されます。(あくまでも想像です)

 

ところが頼朝さんにしてみれば、

「こんな手紙もらったって、俺って囚われの身だぜ?監視されてるんだぜ?へたに動いた

ら挙兵の前に首切られちまうよ」

と、気乗りしないようす。でも、

「以仁王さんが令旨をここへ届けたことを知った平家が、ここへ攻め込んでくるってウワ

サですよ」

と聞くと、

「それは困った。しかたない、立ち上がるか」

そんなこんなで挙兵を決めた頼朝さん。

この時、令旨を送った以仁王さんは、すでに都の戦いで亡くなっていましたとさ。

 

挙兵のために、仲間を集める頼朝さん。

伊豆の国から脱出すると、相模原の三浦さんと合流するため急ぎます。

ところがあいにくの雨で、三浦さんは川を渡れず。

少ない味方 VS 平家。

で、あえなく敗戦。命からがら安房の国(千葉)へのがれます。

頼朝さんが「笹屋」の名づけ親?

行徳へたどり着いた頼朝さん御一行。

「命からがら」ってことは、お金も食べ物もすぐに尽きちゃうってことで、

「困ったな」

すると、行徳にいた うどん屋仁兵衛 なる人が、さっそくうどんと酒肴を作って

頼朝さん御一行にふるまってくれました。

「ありがたい!これで生き返った。お礼といってはなんだが…」

頼朝さんはお礼に笹りんどうの紋を与えました。

これきっかけで、うどん屋仁兵衛は家名を「 笹屋 」と改めた。

と、屏風に書かれてあるとか。

頼朝さんから笹りんどうの紋をもらったから「 笹屋 」になったということは、

頼朝さんが屋号の名付け親。で異論はないですね?

その後、生き返った頼朝さんは、平家を倒すわけですが、それは「笹屋うどん」の

うどんパワーのおかげというのは、異論あります?

ところで、この「 笹屋うどん 」さんの建物は安政元年(1854)のものなんだそうで

す。井伊直弼さんが桜田門外の変で倒される6年前ですよ。

なんと大政奉還の13年前。

昔の家って頑丈ですね。

 

 

笹屋うどん の情報

住  所  千葉県市川市本行徳36-17

開店時間  -

定休日   -

この記事を書いた人
五十嵐 裕子 イガラシ ユウコ
五十嵐 裕子
勤務先である行徳の素晴らしいところをもっと知っていただきたくて、あちこちお出かけしながらブログを書いています。不動産売買の仲介を専門とする当社で、「一期一会の出会いを大切に」をモットーに、お役にたてる宅建士でありたいです。
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