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2019年06月13日
ブログ

行徳の「自性院」は勝海舟さんゆかりのお寺

一昨日のつづきです。

1862年、桜田門外の変で暗殺された、井伊直弼さんのあとを継いだ安藤さんらが失脚

すると、

松平春嶽さん、一橋慶喜さんら一橋派が島津久光(斉彬の異母弟)の台頭で復帰。

それに伴い海舟さんも軍艦操練所頭取として海軍に復帰とともに軍艦奉行並に就任。

「やったぜ!海軍に戻れたぜっ!」

なんて喜んでる間もなく、時代の変換に巻き込まれていく海舟さん。

海舟さんは春嶽さん達と手を組み、彼らが主張する公議政体論(諸侯の政治参加を呼びか

け、幕府と共同で政治を行う主張)の支持者となり、その実現に向け動き出す。

海軍LOVEな海舟さんが政治に

海軍に戻った海舟さん、幕府に買ってもらったイギリス船で幕府首脳を海上輸送したり、

神戸を日本の欧米との貿易拠点にすべし、との提案をしたりと大忙し。

 

海舟さんの夢は「公議政体論の軍事的応用として諸侯との協力を前提にした「一大共有の

海局」を掲げ、幕府の海軍ではない

「日本の海軍」

を建設すること。

その後、念願の神戸海軍操練所が設置されるにはされたが、海舟さんが公議政体論の具体

化として期待していた参預会議(朝廷が任命した有力大名経験者による合議制会議)も、

参加者の意見が合わず(お殿様ばかりで我をまげなかったんじゃないの?)そうそうに解

散。

海舟さん自身の政治構想はことごとく潰されてしまい、幕府に対して不満マンマン!

 

保守派から睨まれていた上、頼りにしていた春嶽さんが政局を放り出して離脱、

海舟さんは孤立していった。

 

公議政体論の見通しが無くなると、海舟さんの立場も危うくなり、軍艦奉行を罷免され、

約2年間の蟄居生活を送るはめに。

そんな時期に実は海舟さん、西郷隆盛さんと初対面しているのです。

 

時は過ぎ、幕府から呼び出され軍艦奉行に復帰した海舟さん。

幕府軍VS長州軍の停戦交渉を任され、話し合いで難局を乗り越えたころ、

突如横から慶喜さん(徳川最後の将軍ね)が停戦の勅命引き出しに成功したことで、

せっかく海舟さんが骨をおったことも無駄になり、

憤慨した海舟さんは御役御免を願い出る。

が、

「はいはいダメですよ。今、忙しいから、そんなわがまま言わないでね~」

と、辞職は却下され軍艦奉行職はそのまま。

でも、しばらくは表舞台から姿を消してしまった海舟さん。

世界でも類を見ない「江戸城無血開城」をやった海舟さん

1868年(慶応4年・明治元年)、戊辰戦争の開始および鳥羽・伏見の戦いで幕府軍が

敗北し、官軍(天皇に属する軍隊)の東征が始まると、海舟さんは、陸軍総裁に起用

され、ついで、海軍奉行並、続いて徳川家の家職である

陸軍総裁に昇進、と思ったら陸軍取扱という職に異動された。

ここで海舟さん、

「 早期停戦と江戸城の無血開城 」を主張、

ここから歴史的な和平交渉が始まる。

 

海舟さんと隆盛さんの話し合いで、無事に無血開城された江戸城。

おかげで、江戸はそのまま東京に生まれ変わり、現在に至る、わけですね。

 

ま、これ以降のことは、自性院さんとは無関係なので割愛いたします(ー_ー)!!

 

しかし、小普請組という無役で小身の旗本であった海舟さんが、45年を経て歴史の

表舞台中の表舞台へ上り詰める時代って、

ある意味、幕末はジャパニーズドリームだらけ

なんですよね~

勝海舟さんが「自性院」さんとゆかりのあるわけ。

「自性院」さんにある立札にこんなことが書かれています↑

「勝海舟邸に奉公にあがり、海舟に愛された娘が亡くなり、その死を悼んで自筆の歌をよ

んだものを碑に刻んでいる。」

 

海舟さんには妻がいます。ってことは、不倫ですか?

今なら『文春砲』の餌食か、

いちゃいちゃ写真を『FRAIDAY』に売られちゃうかですが、

なんと海舟さんの場合、

長崎留学中には地元の未亡人と♡

それ以外にも屋敷に奉公に来ていた若い女中などを身ごもらせていたりして、

お妾さん(死語?)数人に子供がいたとか。

正妻の民子さんとお妾さんが同居していても、波風が立つことはなかったとか。。

さすが海軍奉行!(?)

勝海舟さんがお妾さんだったかもしれない奉公人の女性に送ったお歌

「よき友の消えしと聞くぞ、

       我この方心いたむるひとつなりたり」

 

海舟さんにとって愛した女性は、色恋の対象である『 女 』を超えて、

大切な『 友 』だったのでしょうか。

 

神明山自性院の情報

住  所  千葉県市川市本行徳1-10

東京メトロ東西線「妙典駅」より徒歩15分

この記事を書いた人
五十嵐 裕子 イガラシ ユウコ
五十嵐 裕子
勤務先である行徳の素晴らしいところをもっと知っていただきたくて、あちこちお出かけしながらブログを書いています。不動産売買の仲介を専門とする当社で、「一期一会の出会いを大切に」をモットーに、お役にたてる宅建士でありたいです。
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